これが、なんでもよいにはならなくなった。
いわゆる、キラキラネームなど、
太郎をジロウと読ませたり。
これは自由に反する。
といえばかっこいいか。
まあ、大多数が、太郎をタロウと呼んでくれないと
困る、からきている。
タロウさんと呼ばれて、誰もいない。
ジロウさんはいるけど、
ジロウさんは、ひょっとしたら、僕のこと、
先生、読み方、間違えてますよ、
というやり取りが、ズーーーと続くわけ。
しかし、太郎が、タロウになった時
誰も読めなかっただろう、
ばろう、ごろう、でろう、そうろう、ごんた
だんだん、時間を経て、タロウにでもなったのか。
要するに、支配者がなんでも、かんでも
統一させたいがタメにやっていることである。
よって、太郎はジロウでも、よい。
高いはひくいでよい。
なにも困らない、
困るのは、お前らだけだ。
子供が、いやなら、将来変えられる、にしておけば
問題ない。
よって、自由が守られる。
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